南輝教室長のブログ

今日は何の日、より

投稿日:

8月6日、ニュースやワイドショーでは、広島平和記念式典の様子が見られました。
私もリアルタイムでは見ていませんが、生徒と一緒に少しだけワンセグでニュースを
見ました。
「火垂の墓」「はだしのゲン」など、関連する言葉が出てくるのですが、子供たちが
知っているのって、インターネットでゆがめられたり、ある種の揶揄が含まれた、
いわゆる「ネタ」と呼ばれる程度のものがほとんど。
真摯に受け止めるだけの知識もなければ自分とはつながりもない、全く別世界の出来事だと
いう事実に、正直驚愕しました。

私とて、幼少期に祖父やその知人から「戦争とはこういうものだった」という話を聞いても
とにかく「怖い、イヤだ、血なんて見たくない」程度の感想しか持てなかったのですが…。

だからと言うか…、勉強するひとつの理由を子供たちに話す機会をもちました。

勉強っていうのは、算数や国語、数学や英語の知識を得ることだけが目的ではなく、
考える力、考えるための材料を自分のモノにするためにしているんだよ、と。
歴史なんかドンピシャですが、先人の知恵、発見、失敗…そういうものを知り、
では自分は・自分たちはどうするべきか、良きを見習い、悪しきを絶つには、を
考える。

もちろん、勉強においては、学校の試験のように知識量を競うこともあります。
ただ、それを全てだと思ってしまわないこと。
量を競ったとして、パソコンのハードディスクと人間の脳を比べてごらんなさい。
調べるツールを持ち歩けば、知識なんて自分が持ってなくても事足ります。

じゃあなぜ勉強するの?

人間が、感情・情動を持った生き物だから。得た知識を育てたり昇華できるから。
先ほどの考える力にも通じますが、知識も感情も同じ脳が司る人間だから
できることがあります。その力をきたえずに、何を未来に残していくのか。

もうしばらく、終戦絡みのニュース、番組が続きますね。もちろん戦争だけでなく
日常の色々なことに目を向けて、身の回り全てのことが勉強だ、という捉え方、
一歩引いた見方をできれば、おそらく勉強という言葉のもつイメージが、
冷たい塊ではなく、もっと広がったものに感じられるはずです。

今日は何の日、という話から少し飛躍しましたが、ちょっとしたひとり言でした。

(文責:植田)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください