昨日、南輝の教室長から聞いた話をシェアします
塾で計画立てて学習を進めているのですが、中学生のある子の学習進度に遅れが生じており、昨日がその調整期限だったのです
予定通り進んでいない子は、期限日に居残りし補習する訳ですが、その子はあいにく部活の関係で、早く帰らないといけない状況でした
そこで、教室長と子どもとのやりとりで
 子ども「部活の関係で早く帰らないといけない」
 教室長「遅れているのが、前からわかっていたのに、カバーしてなかったツケがまわってきたのだから、今日は予定まで済ませて帰らせたい」
 という応酬があったようです
結局、教室長が押しきり居残りさせたようです
 子どもは、納得のいかない状態で帰宅し、家の人にもグチったようです
教室長から
 「ちょっと強引だったかも知れない…」とひと言
確かに、お互いが納得の上で進めた方が賢明だったかも知れません
 「今日が期限で、やってなかったのだから、本当は何時になっても、今日はやって帰るべきだけど、どうしても都合が悪いのなら、これをどこで挽回するか、決めて今日は終わりにしよう」
 と持ちかけていたら、違った展開になっていたかも知れません
思春期の子が自我を確立する時期に、個を尊重してあげる考え方が必要だったかも知れません
こうやって考えると、異業種と同じで、教育にも駆け引きの必要な場面もあると改めて思いました
“教育の中にも、ディールがある” への1件のフィードバック
塾長のこの記事を受けて、私こと南輝の植田からもその後の彼とのやりとりを補足します!
当日はかなり険のある雰囲気で、「今日が期限って分かっとったよな!?」「わかっとるけど、この後練習なんで!」「ならさっさと合格できるようにきちんとせぇ!」という、結構な棘のあるやりとりに(-“-)
帰ってからかなり荒れてしまってたそうです…。もちろん私もモヤモヤモヤ…。
これではいかんと、次の登塾日にきちんと話をしてお互いに「納得した」という状態にはなっていたものの、それでもしばらくはぎくしゃくした感覚が残っていました。
部活の大事な試合前の日だったと聞いて、落ち着いて聞いてみたら本当に申し訳なかったなという思いで、今回は私の方から上げた手を下すことに。
昨日、次の大事な試合までは練習と重なる日は部活を優先する?という話を持ち掛けてみました。
一瞬ぽかんとした顔の後、「それでいいならそうしたい」という返事と、その後の雰囲気がかなり柔らかくなってきたのを感じました。
私にとっては彼の勉強面に対する責任が第一、だけど、彼の中学生活の中では、勉強面はごくごく一部にしか過ぎないんですよね…(^^;
その時その時で何を大事に思っているのか、それが生活の中でどういう位置づけになっているのか、モチベーションは…?
お互いにそういう気持ちを共有して、その上で「一緒に頑張ろう!」となるべきだなあと考えさせられました。